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理想の君主か破壊王か?<塩野七生『チェーザレ・ボルジア あるいは華麗なる冷酷』> [本棚]

『君主論』で有名なニコラ・マキャベリ(ニッコロ・マキャヴェッリ、イタリア語: Niccolò Machiavelli、1469年5月3日~1527年6月21日)の同作中に理想の君主のモデルの一つとして取り上げられたのが、チェーザレ・ボルジア(イタリア語: Cesare Borgia、1475年9月13日~1507年3月12日)。

チェーザレ・ボルジアはイタリア・ルネサンス期の聖職者、政治家、軍人。イタリアでは一般にヴァレンティーノ公と呼ばれている。これは、イタリアでは単に「チェーザレ」といった場合は、ガイウス・ユリウス・カエサル(ガイオ・ジュリオ・チェーザレ)を指すためといわれています。

父ロドリーゴ・ボルジアについてカトリック教会での職位を高めていた。パンプローナ司教となったのち、父ロドリーゴが法王アレッサンドロ6世となったのに伴い、ヴァレンティーノ大司教、そしてヴァレンティーノ枢機卿となった。

枢機卿の間は「ヴァレンティーノ公」と呼ばれたが、後に教会職を辞して、父法王とフランス王ルイ12世との協定で、ヴァランス地方の領主となってからは、奇遇だが、これまた「ヴァレンティーノ公」となった。

武力を持たない教会は軍備を整え、チェーザレを教会軍総司令官に任命し、教会に反抗した小領主等を屈服していった。教会権力に反抗的な領主や枢機卿の親族にも闘いを挑んだ。

法王及び教会の権威の復活を進めるとともに、小国に分立していて、外国勢力の侵攻に対抗できないイタリアの統一を目指したといわれる。

手段を選ばない陰謀家との歴史的評価(*)がつきまとうこの人物は、本当に稀代の悪党だったのか、理想のために奔走した情熱家だったのか、塩野七生の見方は面白い。

*…毒薬(ボルジア家秘伝の毒「カンタレル」)をもって政敵を暗殺したとか、反乱者たちには容赦しない残虐性とか、フランス王やスペイン王、各国の領主を巧みに動かした策略家など。

特筆すべきは、チェーザレがルネサンス期の人物で、当時の最高の才能を有する天才・レオナルド・ダ・ヴィンチと親交があったことや、フィレンツェ共和国の外交官で後に『君主論』を著すマキャヴェッリその人とも親交があったことでしょう。

チェーザレの死をもって、マキャヴェッリはイタリアを統一したかもしれない「理想の君主」を失い、ダ・ヴィンチは彼の才能を真に評価できる理解者を失ってフランスへと移っていった。


よくサラリーマン向けの雑誌などで歴史に学べという特集が組まれるが、では何を読んで学ぶのが良いか。漫然と世界史とか、日本史を読んでも意味がありません。

もし組織を動かすならば、個人的には韓非子とチェーザレ・ボルジアを勉強することをお勧めします。特に日本において、論語や孫子を勉強している程度では、勝てる組織を作ることができません。いや、社会人になって10年以内ならば基礎学力として、論語と孫子、ユリウス・カエサルを勉強するのは良いと思います。しかし、30代後半からは韓非子とチェーザレ・ボルジアそして、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスを勉強し、強い組織、勝てる組織を作るにはどうしたらいいか考えてみることは必要ではないでしょうか。

cesare-borgia.JPG
<本のデータ>
ISBN 978-4-10-118102-8
「チェーザレ・ボルジア あるいは華麗なる冷酷」
塩野七生 (著)
<内容紹介、アマゾンより>
ルネサンス期、初めてイタリア統一の野望をいだいた一人の若者――父である法王アレッサンドロ六世の教会勢力を背景に、弟妹を利用し、妻方の親族フランス王ルイ十二世の全面的援助を受け、自分の王国を創立しようとする。熟練した戦略家たちもかなわなかった彼の“優雅なる冷酷"とは。〈毒を盛る男〉として歴史に名を残したマキアヴェリズムの体現者、チェーザレ・ボルジアの生涯。

2017/04/07<曇時々雨>
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